2008年1月4日金曜日

ギークとスーツの間に横たわる深い溝(2)

ギークかつスーツであろうとする、とち狂ったスーツも
いるようだが、そんな存在は100%ありえない。
まぁ、精々、スーツ兼"なんちゃって"ギーク"が関の山。

ギークかつスーツの両方を満たすことができると考えている
時点で、そもそもギーク・スーツの根本的な違いを把握
できず、枝葉末節(表面)のみを見て、その違いを自分の
ロジックで捉えようとしている、お馬鹿なスーツという
ことになる。実際、その御仁の文章ではギーク・スーツ
の根本的な違いについては一切触れられていない。

ギークのロジックとスーツのロジックは完全に別物。
ロジック≒行動原理・論理、ギークとスーツは
この根本(根底)、魂(?)の出発点が異なる。
真の意味では"ギーク"と"スーツ"は対極に位置する
存在なのである。

人間をおおまかに分類すると、(真の)ギーク、(真の)スーツ、
なんちゃって"ギーク"、なんちゃって"スーツ"、その他
ということになる。
(真の)ギーク兼なんちゃって"スーツ"、
(真の)スーツ兼なんちゃって"ギーク"、
なんちゃって"ギーク"兼なんちゃって"スーツ"
は存在しうるが、(真の)ギーク兼(真の)スーツという
存在はありえない。
人間はその行動原理によって"スーツ"、"ギーク"の
どちらかに傾いている。"スーツ"、"ギーク"の中庸
に位置する人間はいない。

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